2014/10/20 長谷川の教育論[4]
 

日本の教育を論じる場合に必ず言い募られるセリフがある。
「日本の子どもは知識はあるが、思考力や表現力に欠ける。これは長年続いた詰め込み教育の弊害だ」
 一見、正しい意見のようだが、ちょっと立ち止まって考えてほしい。まず、知識を詰め込むと本当に思考力欠如に陥るのだろうか。私は、豊富な知識なしでどうやって思考力を発揮できるのか不思議でならない。文字・語彙・漢字を知らない人が表現力豊かな日本語を書けるはずがない。それは自明のことと思われる。豊富な知識は、思考力や表現力を養成する必要不可欠な基礎要素である。
 進歩的教育評論家の中には、「子どもたちに選択の自由を与えるべきだ。嫌いな教科を無理矢理学ばせるのは逆効果だ」という主張をする人がいる。しかし、そんな人でも、「食べ物は好きなものだけを食べればいい」とは言わない。好き嫌いせずにバランスよく栄養素を摂取しなければならないと言う。もちろん、教育と食育は別ではあるが、根本のところは同じだ。確かにピーマンが嫌いな子供に無理矢理ピーマンを食べさせることはできない。しかし母親は、ピーマンに含まれているビタミンB1の摂取が子供に必要なことを知っている。だからこそ、みじん切りにしてチャーハンに混ぜたり、ハンバーグに忍び込ませたりして工夫する。子どもに食事の自由を与えて、毎日スナック菓子で満腹にさせる親はいない。
 子どもの勉強も同じだ。好きな教科だけを勉強していると、バランスを欠いた脳が出来上がる。それは脆くて虚弱な脳だ。それを望む大人はいない。だから我々学習指導者は、嫌いな教科も「みじん切り」にしたり、味付けを工夫したりして子供が食べられるよう=勉強するように知恵を働かせる。その作業を諦めずに続けることがプロとしての学習指導者の使命である。
 誤解を承知で言えば、私はある年齢層までは詰め込み教育が必要だと考える。そして、その豊富な知識を生かした思考力・表現力を並行して養うのだ。どちらが大切かではない。どちらも大切なのだ。