2014/10/6 長谷川の教育論[2]
 
IT革新は教育の分野にも大きな影響を与えている。お隣の韓国では電子教科書が普及し、ペーパーレスの学習指導が浸透している。日本でも、ネットを利用した学習ツールの提供が近年、爆発的に増加している。クリック一つで安価で高品質の学習ツールは入手できるようになった。
 それでも私は確信していることがある。
 確かに、学習ツールはIT革命と共に進化したが、教育の根本は不変である。基本は人対人だ。将来、ロボットに育児をさせることは出来るかもしれないが、ロボットが教育する時代は永遠に訪れない。親が子を育てるとき、時には大声を上げ、時には間違った言葉を使ったとしても、そこに我が子を慈しみ、愛情を注ぐ思いが必ず存在する。だからこそ子供もそれを感じ取り、親の思いに応えようとする。そうした人対人の科学では解明できない心の交流を、ロボットでは永久に実現できないだろう。
 同様に、指導者と生徒という師弟関係もロボット相手には築けない。国民栄誉賞を受賞した松井秀樹選手と長嶋監督の師弟関係。あの「四番打者育成1000日計画」の中で一度だけ、松井選手が弱音を吐いた日がある。血豆の上に血豆を作り、傷だらけになった両手が自分の意志で動かすことができなくなったのだ。「監督、手が動かなくて、どうしてもバットを握ることができません」…そう涙ながらに訴えると、長嶋監督は松井選手の手を取り、松井選手の手の上から強引にバットを握らせ、「よし、これで大丈夫だ。素振りを始めろ!」と指示した。その日、松井選手は手の平の痛みと、自分の弱さを恥じて泣きながらバットを振り続けた。松井選手も辛かっただろうが、長嶋監督はもっと辛かったと思う。その互いの辛さを互いが理解し、乗り越えたからこそ、稀代のバッター松井秀樹は誕生した。こんな師弟関係はロボット(デジタル)では絶対に実現しない。
 あくまでもデジタルはツール(道具)だ。その良さを利用しつつ、教育本来のアナログを忘れてはならない。当塾が映像教材を駆使しながらも個別指導を重視しているのは、私のそうした信念があるからだ。